麦焼酎の故郷・壱岐
現在では、九州各県だけでなく、日本各地で麦焼酎が造 られている。本格焼酎のなかでは、いちばんポピュラーな 焼酎といえば、麦焼酎であろう。
 日本で麦焼酎が最初に造られたのは、壱岐(長崎県)であった。壱岐は樽多から海をへだてて60キロの玄界灘にある島。大 陸から日本へ古代文化を中継する役割を果 たしていた島である。
 壱岐は面積140平方キロ、人口約4万人の小さな島だが、長崎県では第二の平野 がある豊かな島である。江戸時代には、平戸の松浦藩に属していた。蒲は肥沃な壱岐の土地に着目し、米や麦を年貢として納めることを奨助。その豊富な麦で造られたのが、麦焼酎の始まりである。約400年前のことであった。
 麦焼酎が造られた背景には、当時の壱岐の島民が貧しく、 米で造る日本酒が飲めなかったこともあると考えられるが、 急速に麦焼酎が普及し、明治33年の記録では、日本酒蔵 が17蔵しかないのに、焼酎蔵が38蔵もあったといわれている。しかも日本酒蔵も焼酎を造っていたから、当時で も有数の麦焼酎の生産地であったといえるだろう。  壱岐が「麦焼酎の古里の島」「麦焼酎の本場」といわれるのも、うなずける。



使う麹によって麦焼酎も2種類ある
麦焼酎に使われる麦は小麦ではなく、大麦。大麦はイネ 科の1,2年草で、葉は小麦に比べてやや広く短い。4 〜5月に収穫され、ビールやウイスキー、焼酎、味噌、し ょうゆなどの原料になる。
 蒸留酒として同じスピリッツに分類されるウイスキーも、大麦を原料としている。 ウイスキーとちがうのは、麦のでんぶんを糖化させるのに ウイスキーが大麦を発芽させた麦芽を使うのに対して、麦焼酎は麹を使う点である。蒸留したての原酒はウイスキーも焼酎も麦の風味を持った無色透明な液体である。その後の製造工程(樫樽貯蔵)のちがいによって、ウイスキーは琥珀色になる。
 麹を使うといっても、使う麹によって麦焼酎は二つの系統に分かれる。 壱岐の麦焼酎は昔から米麹を使って仕込んできた。つまり、米二割、麦入割、あるいは米三割、麦七割の比率で焼酎が造られているわけである。蒸した米に麹菌を撒いて水を加えて麹を造り、その麹 に蒸した麦と水を加えて夢を造るのが、壱岐の麦焼酎の作り方である。  もちろん、壱岐以外でも米麹で仕込む蔵も数多くある。
 もうひとつの麦焼酎は、麹も麦で造る。 蒸した麦に麹菌を撒いて水を加えて麹を造り、 二次仕込みにも麦を使う方法である。「麦100%」とうたっている麦焼酎がこれにあたる。  現在では、「いいちこ」や「中々」など麦で麹を造る麦焼酎のほうが多くなっている。



多様な可能性を持つ麦焼酎
最近では、麦焼酎というと「いいちこ」や「二階堂」な ど大分県の麦焼酎がよく知られている。平成元年の調査によると、全国で飲まれた本格焼酎約20万7000キロリッ卜ルのうち、大分産の麦焼酎が占める割合は、31%であった。
 しかし、大分県の本格焼酎の歴史は比較的新しい。大分県で焼酎造りが盛んになったのは、昭和50年代のことである。その端緒がマイルドな麦焼酎の登場であった。
 大分県の麦焼酎の大きな流れは、減圧蒸留し、イオン交 換樹脂で精製し、従来の原料の香りを残した焼酎とは異な り、ライトで飲みやすい仕上がりになっている。  そのライトな口あたりが消費者に好感され、焼酎ブーム が起こるきっかけともなった。  大分県の蔵のなかにも、常圧蒸留にこだわり、イオン交換樹脂で精製していない、伝統にこだわっている蔵もある。 大分県の隣の宮崎県でも麦焼酎が造られているが、こちらは常庄蒸留の焼酎が多いようだ。 麦焼酎は同じ蒸留酒であるウイスキーと使う原料も同じなのだから、 ウイスキーと同じように樫樽に貯 蔵・熟成すれば、同レベルの蒸留酒 が造れると考え、樫樽貯蔵に取り組む蔵が増えている。「銀座のすずめ」を はじめ、樫樽貯蔵の麦焼酎が登場してきているが、光量規制があり、本格焼酎の場合はウイスキーの約10分の1以 下に制限されている。
 そのため、せっかく長期熟成されまろやかに仕上がった 焼酎をろ過したり、新酒とブレンドさせなければならない。 その結果、どんなにていねいにろ過しても、うまみ成分を いっしょにろ過してしまうことになる。本当にもったいない話である。
 麦焼酎はいも焼酎と異なり、生の原料を使わないから、 一年中造ることができる。しかも、仕上がりはいも焼酎のように独特の臭いがほとんどない。飲み口もライトで 飲みやすいという特徴があるから、「本格焼酎は臭いがあってどうも」という人にも受け入れやすい焼酎である。
 これからも本格塊酎のファンを拡大する役割を担っていくだろう。